地元小学校の生徒達といっしょに
その活動は、地元の人たちを始め、行政にも伝わるようになりました。そして、児童教育の一環として時津町教育委員会とタイアップし、地元小学校生徒へ授業の中で川ニナの養育に取り組みました。父親が生徒達へ川ニナを分けてあげ、子供たちの自宅などで生育させ、左底の川へ放流していった歴史があるのです。
この取組は地元で話題となり、そのことは当時、地元のテレビ局でもニュースとして取り上げられたそうです。
野田川ほたるの里を守る会
会長である長岡さんが野田ほたるの里に取り組んだのには、いくつかの条件が揃っていたのです...。
長岡さんは、幼少の頃から父親が20年間近く、実家のある左底地区でホタルの繁殖に携わっているのを見てきました。
父親は幼虫の餌となる川ニナを左底の川から摂ってきて自宅の水槽で飼い始め、餌となる川ニナを増やしていきました。
地元小学校の生徒達といっしょにその活動は、地元の人たちを始め、行政にも伝わるようになりました。そして、児童教育の一環として時津町教育委員会とタイアップし、地元小学校生徒へ授業の中で川ニナの養育に取り組みました。父親が生徒達へ川ニナを分けてあげ、子供たちの自宅などで生育させ、左底の川へ放流していった歴史があるのです。
この取組は地元で話題となり、そのことは当時、地元のテレビ局でもニュースとして取り上げられたそうです。
現在の場所へ転居そして平成23年(2011年)、野田郷山口地区に引っ越してきました。
引っ越してきた翌年、自宅すぐ近くの野田川に数匹のホタルが舞っているのを観て、父が取り組んでいた左底川のホタルのように群舞させようと決意したのがスタートでした。
まずは自分の畑の溝を利用し、ホタルの幼虫の餌となる川ニナを野田川に生息していたものを摂ってきて養殖させていきました。日照りなどが続いた年など、一時は生育が危ぶまれましたが、何とか育てあげ、多くの川ニナを野田川へ放流することができました。
地元子供会の協力も
それと並行しながら、野田川の清掃も行いました。当時はがれきや、ビニール袋、空のペットボトルなどが散乱していましたが、地元子供会の協力も得ながら清掃作業に取り組みました。
その清掃でただ一つ失敗したのが、川の真ん中付近に茂っていた草や石を取り除いてしまったことです。このことにより、ホタルの幼虫が生息する場所を奪ったカタチとなったのでした。
その翌年からはそのような草や石はそのままにし、幼虫のすみかを大切に見守っていきました。その後の野田川清掃からは、子供たちにも石は取り除かないように注意しながら清掃するようになりました。
ほたるの里を守る会を立ち上げ
その活動が実を結び、ホタルの数も増えてきた平成28年(2016年)7月、同じく野田在住の有志から、ホタルの里を守る会を立ち上げようという機運が高まり、賛同する人たちとともに結成の運びとなりました。
そして、地元選出の新井町議をはじめとする方々の尽力により、川にまたがる橋の名が「蛍橋」と命名され、その石碑が川の両側に建立されたのです。
また近くには、野田ホタルの里を紹介する案内板も設置されています。